宝石販売指導マニュアル

03 ヒスイ

 東洋のエメラルドと呼ばれるヒスイは長く中国で珍重され、戦後中国からの引揚者が多く日本に運び込みひとつのブームになった。そのため現代ではヒスイというと硬玉(ジェダイト)をさしますが以前は軟玉(ネフライト)を台湾ヒスイと呼び、クリソプレーズをオーストラリアヒスイとして販売していた時期もある。

これはヒスイが高価であった事と鉱物的にジェードとしての分類に硬玉、軟玉ともに入ることクリソプレーズの色が色の薄いヒスイに似ていたことが要因であろうと考えられます。また、以前は若草色の淡い色が効果とされていましたが、現在では深緑のものが高価とされます。またヒスイにはほとんどの色があり、十数年前にはラベンダーヒスイという薄紫色のヒスイがブームとなり、現在でも人気がある。

ヒスイはまた日本でも3500年前ほどの縄文時代に現在の糸魚川近辺で産出されていた。また、因みにヒスイの語源は鳥のカワセミの色に似ているところから、カワセミを漢字で書いた『翡翠』が使われるようになった。  『翡』の非は緋(深紅)、つまり、赤い羽を指し『翠』は緑を表わし、原石の表面は赤いものが多くその中に緑色の石がある。

切断面がカワセミの腹部と背部に見えるためこの名がついた。それは、ヒスイが他の宝石のように一つの結晶体ではなく、複数の結晶の塊だからである。

ポイント

 ヒスイに関しては一般的にグリーンないし、ラベンダーを思い浮かべる人が多くおりますが最近の輸入ジュエリーに他の色のヒスイが使われていることがありますので先入観を持たないように、出来ればサンプルを見せましょう。

ヒスイの歴史

 中国の宝石と思われていることの多いヒスイですが実は現在の中国では産出せず、実質的には縄文時代の日本が最も古い歴史を持つでしょう。

 しかし、奈良時代以降には歴史に登場せず、そこで止まっていた。  紀元前1400年頃に中国二番目の王朝が生まれました。『商』王朝がそれです。殷という場所に都を置いていたために『殷』王朝とも呼ばれていた。商は400年続きその間には政教一致の宗教を基礎として神権政治を敷いていた。そのころ、文字、法律は勿論のこと、青銅器や陶器がすでに作られており青銅器は主に酒器に又、陶器は食器として使用されていたが王族たちは現在の雲南省からビルマの地域で採れたヒスイを箸や小さな酒器として使っていたと言われる。

 彼らは行動範囲が広く、あらゆるところで取引を行っていた。現在の商売の語源はここから来ている。その後の王族たちもその習慣と引き継ぐことにより中国ではヒスイが最も重要な宝石として珍重されてきた。実際に文献に現れるのは清の時代からであり、これ以降の時代の作品、調度品は多々、北京故宮博物館や台湾故宮博物館に展示されている。現在でもヒスイを買取る場所を国が用意し、行なわれている。  

 日本では奈良時代から長い間発見されておらず、中国から渡ったものとされていたが、実は昭和に入り糸魚川で発見された緑色の石がヒスイであったため日本で過去採掘されていたことが判明した。その後、縄文中期の長者が原遺跡から続々と勾玉や珠が発見され世界最古のヒスイ文化が証明された。また、ヒスイは日本各地で発見され、大国主命(オオクニヌシノミコト)が祭られている出雲大社でも当地で採掘されたと思われるヒスイの勾玉が祭られている。

 当時の勾玉や珠は装飾品としてだけではなく、神事に使われていたと思われますが当時そのほかの形にも研磨されていたことを思わせる工房跡も発見されているので積極的に研磨されていたことを考えるすでに上下菅家にハッキリした権力の象徴、つまりヒスイの発見がその頃の生活や階級制度を解明したことになる。

ポイント

 ヒスイはアジアの一部の文化の為、他の宝石ほどの華やかな歴史はありませんが販売の上では皆さんが良く知っている土地や時代が出てくることで最も興味を引きやすい宝石ですし、現在では欧米諸国でも人気が出ていることを強調することにより、販売の方法がよりスムースになることを指導してください。

エピソード

 現在は産出されていないがメキシコにも過去産出していた事実があり、マヤ、アステカ両文明の中でも豊穣を与えたヒスイの神が存在した、現在彼らの主食であるトウモロコシを与え、生活に必要な殆どの物を民に与えたと云われた。この神が緑色であったために当時発見されていたヒスイをその化身と考え、呪術や祭事に使ったとされる。また、腹部に当てることにより内蔵の病に効くと思われていた。

 

 英語のジェードの語源も侵略してきたスペイン軍がそれを見てイハーダ(Ijade)と云い、腹痛を治すこと意味している。そこから来ているといわれる。

 日本では美しい女神がヒスイの神とされ、その名を奴奈川姫(ヌナカワヒメ)といった。大国主の尊がわざわざ出雲よりマヌカワヒメの住む高志の国(現在の新潟)まで求婚のために出向いたとされる。マヌカワとは現在の姫川のことでその川底からヒスイが採れたといわれ、ヒスイの神である奴奈川姫は新潟の神でもある訳です。出雲大社に祭られるヒスイはもしかしたらこの女神かもしれません。

ポイント

 土地、文化、時代の違いにかかわらず神として扱われていたことは興味深く覚え易いかもしれません。

ヒスイの価値と判断基準

 ヒスイに関して判断は他の色石と違い4Cのほかにロウ観というものがあります。これは溶けたロウを面に垂らした瞬間の雫の状態のテリに似ています。これは説明が難しく他の宝石のテリが鋭く硬い印象を与えるとしたら、ヒスイのそれは限りなく柔らかなテリといって良いでしょう。色は緑色が最も高価で、ラベンダーも人気があります。ヒスイは微小結晶の集合体のために様々な色が混じっていることが多く、色が均等でムラなく表面が滑らかなことが条件となります。

ポイント

 ロウ観を説明することは難しいためにヒスイそのものだけではなく、実際にロウを垂らした物を見せることも良いかもしれません。

原産地

 ミャンマー、日本、中南米、最近ではロシアのウラル山脈付近で発見されているが、日本や中南米で宝石質のものが採掘されることは考えにくいがロシアではまだまだ可能性があるといわれている。

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