宝石販売指導マニュアル

11 アイテムごとの発祥

リング

 指輪を語るにはそれ以前の印章に触れなければなりません。印章の歴史は古く紀元前3千年頃エジプトに現れています。これは権力の象徴として使用されそれをもつものが支配者だったのです。その携帯性を追求し出来上がったものが指輪式印章だといわれています。というよりも《指輪》の出現だと考えられます。  

 古代エジプトでは太陽神になぞらえられたスカラベ(糞ころがし虫)が彫刻された印章指輪が王位委譲のためのシンボルとされていた。その後、指輪は権力の象徴とされ、一時は左の薬指を除くすべての指にあらゆる宝石の指輪がされていたといわれる。(左の薬指は心臓、脳につながるといわれており、その指は如何なる者にも支配はされないという意味があったといわれる)

ネックレス

 一番古い装飾品であったことは想像出来ますが軍服等についているカラーも男性用のネックレスが原型であり、14世紀前期に自らの徽章(家紋的なもの)をつないだ物を領主が自らに仕える家臣の身に付けさせた。それを襟により付けやすくしていったものがカラーであり、女性は十五世紀に襟の開いたドレスが流行った頃を境に現在のような着け方が一般的になったといわれる。

ブローチ

 紀元前のブローチは北方民族のもので単純に毛布やマントを留める為のピンみたいなものであったとされるこれは地金だけのものであったのか他の素材も含まれていたのかは定かではないが動物の骨や木の枝が使われていたとの説もある。ギリシャ・ローマ時代に入ると地金の《フィブラ》という布を留める安全ピンのようなものとして進化し、北方民族の間でも地金の装身具としてかなり洗練されてきていた。

これらに印章、紋章、徽章などを模ったりしながら宝石をちりばめ、現在のブローチの道順になっていった。

ペンダント

 紀元前十二世紀頃にはすでに青銅製のペンダントらしきものが発見されているが現在のペンダントの元となったものは十五世紀の中頃、襟周りが大きく開いたドレスが流行り始めたころでしょう。当時、既に印章、徽章の類のものの役割は大きく女性とっても同じことであった。そのためブローチ代わりにつけるものとしてペンダントが生まれたと考えられる。ペンダント自体は鎖に通して首にするものというよりは元々ピンブローチに変わり、チェーンに通して肩から胸にかけて提げたりするブローチの存在であった。しかし、前述のようにドレスの流行により現代の形になり、ペンダントの誕生となったと考えられる。因みにペンダントの最初に流行った形はハートの形であったといわれる。十五世紀には建物型のペンダントが多くなるがこれはこの時代祈祷用のペンダントが主流になり、この中に聖遺物を収めていた。いわゆるロケットに近いもので15世紀中期になるとこの円形の物のものが出始めこの中に鏡を入れるのが流行した。これがコンパクトの原型かもしれない。

ブレスレット

 青銅器時代に北方民族の特徴ある地金のブレスレットがイギリスで発見されているが当時装飾品であったか別の使用方法であったかは定かではない。しかし、現代の原型はペンダントと同じ頃(15世紀中期)やはり袖口の大きく開いたドレスが流行し、この頃、腕輪が一挙に広がったと思われるが、紀元1世紀頃にはすでに目的のハッキリした腕輪が存在し、神話の中にも良く出てくる蛇を模った物を金で作っていた。この頃のものは金を棒状に鋳込みそれをハンマーでたたき成型していた。この頃の蛇がいろいろなもののシンボルではあったがなぜ蛇が多いのかは今ひとつ定かではない。

イヤリング

 いつの時代に登場したのかは定かではありませんが既に何回か登場した旧約聖書の中の《出エジプト記》の部分に金の耳輪として登場し、それらの耳輪をとかし雄牛にかたどり、神を偶像化したものとして神の怒りを買う部分で登場する。紀元前一世紀頃には既に宝石をあしらった物があり、この頃のイヤリングは鎖を耳にかけるものであった。

男性から女性へ

 ジュエリーが権力や宗教の象徴的なものとして発展してきたことを述べてきましたが、それではいつから女性特有のもののように思われてきたのでしょうか。十六世紀は英国のエリザベス一世を始め多くの女帝がヨーロッパ各国を治めていた。勿論彼女たちの紋章、徽章を冠したものはそこら中に溢れ、また、多くの重臣たちや属国の首長たちは彼女たち宝石で王冠をあしらった髪飾りやカラー(女王の襟に宝石などをあしらったもの)を贈っていた。この頃から装飾品は女性の色が濃くなっていき、男性には勲章などの紋章や徽章を表わすものだけが残っていった。

ブライダル

現代の世の中、安全と秘密保全のため鍵がなくては過ごせないほど鍵が不可欠となっています。鍵を誰が所持し、誰が責任を持つか。また、誰に委ねるか。場合によっては自分の命と財産を誰に任せるか。

鍵は紀元前からあり、古代ギリシャやローマでは女神や巫女の持ち物とされてきた。男性は戦地を含め出かけることが多かったせいか鍵は発生から女性の持ち場の象徴であった。指輪が権威の象徴であった事は前述していますが、印章指輪と同じく鍵を実用性以外に指輪にする事に関しての必然性は整っていました。

 古代ローマ時代には婚約が成立すると鍵つき指輪を贈るという習慣がありましたがこれは前述の誰に鍵を委ねるかという部分の象徴だと考えます。当時の衣類は収納のためのポケットがなく、またローマ人の風呂好きは有名ですから身から離せない鍵を指輪にしたことも必然的であったと考えます。鍵の習慣と永遠を表わす円である指輪が将来の約束のシンボルとしてあったと考えられます。左の薬指というのも前述した心臓につながる部分として女性の命(人生)を預けるという意味と男性の財産を任せますという意味合いであったと考えます。

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